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島人 / 徳之島 / フッ軽 / 飲み歩き / 料理
偶然の出会いを必然に変える
出身は徳之島です。大学で宮崎に来て、いろいろなバイトに精を出していました。その傍らでバーを経営したり、ちょっと変わり種の学生だったかもしれません。フォースリーとの出会いは宮崎オフィスの内装工事がきっかけ。当時、たまたま工務店のアルバイトとして現場にいたんです。完工したとき林さんが見に来てくれて、その流れで飲みに行こうという話になり、なぜかそこに僕もいたという(笑)。そのまま僕のバーにもご案内して、それ以来のお付き合いです。林さんは宮崎出張の度にバーに顔を出してくれました。
そうこうするうちに大学生の店長が、卒業のタイミングで辞めることになり、ひとりでお店をやるのもどうかと思ってたところにコロナ禍が。ここらへんが潮時かな、とバーを畳み、ゴルフ場でキャディのバイトとかやってましたね。その頃、ちょうど緊急事態宣言の間隙を縫って林さんが宮崎にいらっしゃったんです。
林さんは以前からコロナでお店どうなった?なんて心配してくれていました。再会して久しぶりに話をする中で宮崎オフィスのメンバーが一人辞めるという話を聞き、瞬間的に働かせてください、と手をあげました。だから最初はアルバイトとしての入社だったんです。そのまま大学卒業と同時に新卒として正規雇用に切り替えてもらいました。
はじめの一歩でスランプに
入社したときはWeb広告のことも一切知りませんでした。林さんの人柄に惹かれてやります、と宣言したようなものですから。だから最初は仕事を覚えることに必死で。わからないことがわからないという状態。ましてや、正しい敬語も使えず、社会人としての人の付き合い方もわからない。あっという間に自分を見失いました。
オフィス内での人間関係も上手く構築できません。もともとしゃべりが得意ではないので、コミュニケーションも取れなくなっていきました。全て自分が悪いんですが、かなり落ち込みましたね。馴染んできたなと実感を覚えたのは半年目ぐらい。その頃になると仕事も少しはできるようになってきて、ようやく僕らしさを取り戻せました。
宮崎オフィスで仕事に打ち込んでいたある日、東京で新卒研修を行なうから参加しないかと声をかけていただきました。ふたつ返事で上京し、4月入社の新人と一緒にカリキュラムを受けます。その時の環境というか、体験が自分にとってすごく大きくて。宮崎オフィスもメンバーのことも好きだったんですが、戻ってから「東京に行きたい」と自ら申し出ました。
いまに見ていろ、の島根性で
勇んで東京に異動してきたのですが、宮崎でさんざん苦しんだスタート地点にリセットされました。仕事自体は変わらないのですが、メディアとのやりとりも増えてきて。交渉がなかなか上手くいかないんですよね。やはり先方の担当者と関係性を築いていないうちは掲載に至りにくい。ただ、時間をかけてじわじわ改善は図れてきています。考えて数をこなすことで成功確率も上がりましたし。
宮崎のときと同じということは、逆に同じ方法論でやれば自分らしさを取り戻せるということでもあります。成果が芳しくないうちは周囲からの評価も得られにくい。でもいまに見てろよって思っています。島根性という言葉でよく例えるのですが、何か言われたり上手くいかないときになにくそと思って奮起するタイプとあきらめてしまうタイプに分かれるんだそうです。僕は前者ですから、成果で見返します。
いまはとにかく目の前のことをがむしゃらにやりきるだけ。まだ仕事のやりがい云々とか言えるフェーズじゃありません。でも本当に、少しずつできることが増えてきているのがうれしいですね。
口にしたことは全て叶う
入社してからの自分の変化は…そうですね、本質的には変わっていないかも知れません。あまり過去と現在を比べるようなことはしないのですが、あえて言うならそれまでの人生では記憶に残るようなことはやってこなかった。だけどいまはお客様の業績に残ることをやっています。だから記憶にも記録にも残る仕事に就いている実感はありますね。
将来的には経営者になりたい。ちょっと前は林さんに僕が会社を継ぎたい、なんていっていたこともあります(笑)。いや結構本気ですよ。いまの僕の仕事ぶりじゃとてもじゃないけど言えませんけど。林さんはゆくゆくはグループ企業にしたいとおっしゃっていたので、その時までには子会社の社長になれるぐらいの実力をつけようと思っています。
こう見えて僕、口に出してきたことを全て叶えてきたんです。お店を持ったときもあっちこっちで口にしてて、本当にオーナーになれましたし。フォースリーに入りたいというのも、東京に行きたいというのもそう。有言実行ならぬ有言実現。三木清さんの言葉なんですが「すべては偶然であり、必然である。それを運命と呼ぶ」その通りだなと思います。